展示案内
このページに関するお問合せ先 田辺市 教育委員会 文化振興課 TEL 0739-26-9943
原始・古代から近代にかけて田辺市の歴史と文化をよりよく理解できるよう、考古資料を中心に時代順に展示を行っています。
海の幸 山の幸をもとめて
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縄文時代早期の高山寺貝塚出土の土器・石器や、3号貝塚の貝層断面、田辺市周辺で出土した縄文・弥生の土器や石器などのほか、銅鐸も展示しています。
成長した海女の集団
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国指定重要文化財の磯間岩陰遺跡出土品を中心に、岩陰や古墳からの出土品、製塩土器などを展示しています。
奈良時代の田辺地方
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田辺市下三栖にある国指定史跡三栖廃寺塔跡から出土した瓦や石製天蓋片、市内の瓦窯跡から出土した鴟尾瓦、軒瓦などを展示しています。
熊野の西の都「田辺」
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平安時代から熊野参詣(本宮・新宮・那智の熊野三山をめぐる)が盛んになりました。ここでは市内の王子跡のパネル写真や、市内の経塚からの出土品を展示しています。
城下町田辺 熊野街道の道すじ
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![]() 田辺城水門(大正期) |
浅野左衛門佐氏重は、1600年関ヶ原の戦後に田辺の領主となり、湊に城を築いて城下町田辺をつくりました。1619年、紀州徳川家の付家老となった安藤帯刀直次が田辺領主となりましたが、いとこの安藤小兵衛直隆を城代家老としておさめさせました。田辺城は明治に入って廃城となり、現在では水門と石垣の一部が往事の田辺城の面影をしのばせます。
江戸時代にも熊野参詣は盛んで、田辺の城下町は中辺路・大辺路の分岐の要点であり、海上を往き来する人々も多く、町は繁盛しました。
今日の田辺へ
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1871年(明治4)の廃藩置県により紀州藩田辺領も廃止され、明治22年(1889)に田辺町、昭和17年(1942)に田辺市が誕生しました。
ここでは交通をテーマに、パネル写真や昭和初期の地図、観光パンフレットなどで時代の変化を追っています。
















