市長のコラム
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![]() ~おはよう朝日です~ |
みのもんたの「朝ズバ‼」もいいですが、我が家では、ローカルな話題も多いことから、「おはよう朝日です」が好評です。3月29日の放送のことです。前日の28日、「東京都町田市で1万円札が川に浮かんでいるのを近くの女性が見つけて110番。町田署員が川を捜索し、1万円札を269枚回収した。」とのニュースが流れました。
すかさず、宮根誠司アナウンサーが「正直な人やなぁ。改めて、日本という国はいい国ですねぇ。川に浮かんでいる1万円札を見つけて、警察に通報するのですから・・・。坂東さん、川に浮かんでいるお札を見つけたら、通報しますぅ?」と、坂東英二さんにコメントを求めた。
以下は2人のやりとりです。
坂東:「そりゃあ、もちろん通報しますよ」
宮根:「ほんまですか?川にお札が浮いているんですよ。自分のものにしようと思いませんか?」
坂東:「まぁ、正直言って、そういう気持ちもありますねぇ」(笑)
宮根:「そうやろなぁ、そう思うやろぅ」
《少し間をおいて・・・》
坂東:「でもやっぱり、我々の仕事は世間ちゅうもんがあるから・・・、ちゃんと通報しますねぇ」(笑)
いつもながらの軽妙な話術を聞きながら、ふっと感じたことがありました。
ここで坂東英二さんは、「世間というものがあるから正直に通報する・・・」と言っています。 では、「世間」とはどういうものなのでしょうか。そういえば子供の頃、よく聞かされたのは、「世間に顔向けできないようなことはするな」、「そんなことをすると世間から笑われる」、「世間の役に立つように」、「世間知らず」など、「世間」という言葉を使って祖父母、両親から、折に触れて躾を受けたことを思い出します。この場合、総じて戒めの言葉として使われているのですが、時には「世間様」というように、「世間」に「様」までつけて形容しているところを見ると、「世間」とは、怒ったり、笑ったり、時には激励をくれたり、戒めてくれたりする有り難いものとして捉えられ、まるで「もの」として存在しているかのように感じられるだけに不思議な思いがします。
そういえば、躾をする方にも「世間」を定義づける具体的なものは無い中で、トランプのジョーカーのように使うことで、躾けられる側には相当の効果を上げてきたように思います。ちょうど、いたずら好きな子供をおとなしくさせるために、「かしゃんぼが来るでぇ・・・」、「がんごうさん(ここでも“がんごう”に“さん”がついている)に連れていかれるでぇ・・・」と、これもまた確たる存在でも無いのに(架空であるだけに効果的ともいえますが)、やんちゃ坊主を黙らせるためには有効な手段でした。こうして改めて考えてみると、「世間」というものにはルールがあって、規範能力が備わっていて、常に個々人を戒めているのですからすごいものです。
では、ここでいう「世間のルール」とは、いったいどこにあって、誰がそれを決めているのでしょうか。そして、どの程度でルールを守ったり、破ったりしたと言えるのでしょうか。確かに「ルール」という点では、人間は社会生活を送る上で「モラル」とか、「倫理」、「道徳」と言われる一定の規範を認識しています。しかし、その「ルール」を守るか否か、また、その行為は「アウトかセーフか」といった判断は、人生をゲームに例えるなら、選手はもちろん、その審判も「自分」でしかないことになります。そういえば、この審判は、時々実に身勝手な理由をつけて判定することがあります。「これだけ世間のために尽くしているのだから、これぐらいの悪さは許される・・・。」とか、また逆に「世間に対して迷惑をかけたのだから、少しは良いことをしなければならない・・・。」とか、実は得手勝手な部分を随分持ち合わせています。
こうして考えてみると、私たちは、当然のように存在するものとして、「世間」というものを自分の外に意識しながら、実はそのルールや基準、規範意識は自分の中にあることに気付きます。川に流れる1万円札を警察に届けるかどうかを自分で判断しているのです。今回は1万円札が269枚だったけど、じゃあ1枚だったらどうだろう? 千円札だったら・・・、100円玉なら・・・、というように判断をしています。
坂東英二さんが「世間ちゅうもんがあるから、非難されるようなことはしない・・・」と言っています。宮根アナウンサーは「こうした規範意識がまだ日本にある・・・」と感心しています。「地域力」とは、こうした「世間」や「地域」を意識しながら、「地域」によって「自分」がつくられ、「地域」よってつくられた一人ひとりがつくる「地域」のこと、と言えるのではないでしょうか。どこかまちづくりに通じるものがあるような気がします。
平成19年4月19日

