市長のコラム
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![]() ~俳句~ |
「歳の瀬に 売り場狭しと 夏野菜」
唐突ですが、俳句の心得などまったくない者が、この歳になって初めて一句詠んでみました。以前、南紀熊野体験博のイベントで短歌を詠まされ四苦八苦したのを思い出します。
いくら俳句の心得がないといっても、俳句に季語が必要なことぐらいは知っています。とはいってもこの句のように、‘歳の瀬’と‘夏野菜’という‘冬’と‘夏’の相反する言葉を二つも入れていいものか、それこそ“心得”のないところです。
もちろん、この句の季節は冬です。日頃は忙しさに紛れて、どうしても家庭的なことが疎かになりがちですが、それでも歳の瀬も押し迫る頃になると大掃除の手伝いや買出しのお供ぐらいは、せめてもの家庭サービスの一環として年中行事の一つになっています。 日頃は縁遠いスーパーに足を踏み入れると、店内は活気に溢れ、様々な食材がところ狭しと並んでいます。いつの頃からか車への“しめ縄”もしなくなり、年末を理由に改めて散髪をするのでもなく、このところの暖冬も手伝って年々季節感の薄らぎを感じますが、この慌ただしさは、歳の瀬の雰囲気を十分に感じさせてくれます。
「早いものだなあ、今年もあとわずかだなあ。」そんなことを思いながら野菜コーナーへやってきました。ところが、つい先ほどまで賑わいの中に感じていた歳の瀬という季節感を、棚いっぱいに並んだ野菜たちが、いとも簡単にかき消してしまうのですから、この品揃えには驚きです。今さらと言われそうですが、キュウリ、ナス、トマトはあたりまえ、パパイヤ、マンゴーなどのトロピカルフルーツ、その上にスイカまで揃ってしまえば季節は本当に‘冬’なのか疑いたくなります。ちなみに、「カボチャはいつ採れるのだったかな。」などと考えてしまいます。その昔、季語を考え言葉を分類した時代には、真冬にキュウリが採れることなど想像もしなかったことでしょう。
ところで、昨今、ガソリンの価格が急騰して様々なところに大きな影響が出ています。このことは揮発油税の暫定税率の廃止にまで議論が発展して、国会では「ガソリン値下げ隊」なるものまで結成される始末です。加えて、マスコミでもこの暫定税率の廃止が最も有効な政治判断のように報道されていることは、実に一方的な論調に感じます。なお、この議論については別の機会にゆずりますが、先日も大きな影響に困っている具体例が報道されていました。テレビの画面には、キュウリのハウス栽培農家が困り果てた表情で映し出され、「これ以上の原油の高騰は死活問題です。」とのコメントが流れていました。「そうだなあ、当然そういうところへの影響も深刻だろうなあ。」そういう思いを巡らしながらも、一方で「まてよ、真冬に、しかも太くてまっすぐなキュウリが本当に必要なのかな・・・。」そんなことも考えてみました。
もちろんここでハウス栽培農家の批判をするつもりはありません。当然、そのことを生業とされている農家の方々の営農努力は高く評価されるべきものですし、そうした技術も大切なことだと思います。ただ、少し考えさせられたことは、「本当に大切なものは何なのか」ということを、今一度問い直してみることも必要ではないかということです。私たちは、今日まで物質的な豊かさと利便性の向上を最大の目標として追求してきました。その結果、科学技術の飛躍的な進歩や経済の発展などにより、手ごろな値段で、しかも年間を通して豊富な食材を手にすることができるようになりました。しかし、その反面で年々季節感が薄らぎ、自然の恵みに感謝したり、食材のおいしさに感激したりする気持ち(心)が希薄になりつつあることも事実です。本来、野菜や果物をはじめ様々な食材は、大自然の恵みの中で育まれ、私たちは、そうした食材を通して、単に生命を維持するためのエネルギーだけでなく、‘旬’という季節感や、それ以外の大切なものをいただいてきたのです。
そこで、私たち消費者も、もう少しそのことの原点に立ち返り、例えば、キュウリなら文字通り夏野菜として、少し曲がっていても大地の恵みに感謝しながらおいしく、そして、ここが大事なところですが、生産者にとって相応しい価格でいただくことができないものかと感じます。そうです、「豊作貧乏」などという言葉が公然と語られることのないように…。こんなことを言うと、「いまさら便利さを後退させるような議論は非現実的だし、しかもこれは需要と供給のバランスの上になりたっていることだよ。」と、もっともらしい言葉も聞こえてきそうです。もちろん‘需要’があってこその‘供給’であることは百も承知です。しかし、少し冷静に考えてみてください。昨今の、ある意味‘供給過剰社会’のなかで、私たち消費者は、巧みなコマーシャルと「買って、買って」の掛け声に半ば翻弄され、極端な言い方になりますが、必要でないものまで買わされている場合も少なくありません。やはり、「正しい需要」が「正しい供給」に結びつくことが本来の姿ではないでしょうか。
“モノ”の少なかった少年時代、お店に入る時は(これは当地方だけかも知れませんが)必ず「売って」と言いながら買い物に行ったことを思い出します。お店が「買って」ではなく、お客が「売って」と言うのです。いつの頃から逆転したのでしょう。
それはともかく、このところの原油高による諸物価の高騰や、ガソリン税の暫定税率を巡る議論も含め、地球規模の環境問題が世界共通のテーマになる中で、私たち一人ひとりがもう少し考え方を変えることで本当の“豊かさ”を実感し、「農家よし、消費者よし、地球よし」と、こんなにうまくいかないまでも、少しは考え直してみることも必要ではないでしょうか。
「衣食足りて礼節を知る」の言葉が、事実上「衣食足りて礼節を忘れる」に変わりつつあるのではと言われる昨今、「季語」がいつの日か「死語」になるようなことはないと思いつつも、「このように“豊か”な食糧事情がいつまで続くのか…。」との心配が、単なる取り越し苦労といえるほど、私たちには本当に有余があるのかどうか…。恥ずかしながら、初めての俳句づくりに挑戦しながら感じたところです。
平成20年1月25日

