市長のコラム
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![]() ~サービスの源泉~ |
数年前、簡易水道事業整備促進大会での挨拶に、実に印象深い言葉がありましたのでその一部を紹介します。
「研修のため数日間、日本に滞在した学生のエピソードです。学生は帰国を前に土産は何にしようか、相当悩んだそうです。考えに考えた結果、何を選んだと思いますか?(しばらく会場内に時間を与えて)なんとそれは、“水道の蛇口”であったというのです。数個の蛇口を買って帰った学生は、帰国すると早速壁に蛇口を取り付けました。そして得意満面に蛇口をひねりました。(少し間をおいて)しかし、当然のことながら、蛇口から水は出なかった。」
という話です。文章にすればこのようにしかならないのですが、個性的な話し方で会場は笑いに包まれました。嘘か真かは別にして、この笑い話はいくつかのことを物語っています。
まず、この学生の母国の社会インフラは、相当遅れた状態であるということは容易に想像できます。おそらく、日々の生活を営む上で水環境にも恵まれず、飲料水をはじめ水の確保に大変な苦労をしているものと推察します。ところが日本での滞在中、蛇口をひねりさえすればそのまま飲むことのできるきれいな水が、当然のように供給されることにずいぶん驚いたのでしょう。このことは、わが国の水道普及率が、全国平均で97%を超え、地域別に見ても、東京の100%、大阪の99.9%という数値にも表れています。そういえば海外へ行って改めて気づくことは、生水をどこでも簡単に口にできる国は、それほど多くないということです。
元来わが国は、地理的条件や自然環境という点からも水環境には随分恵まれてきた国といえます。そのことは、「惜しげもなくむやみに費やすこと」を形容するのに「湯水のように使う」という表現があるほどで、つい最近まで「空気と水はただ」との認識がごく一般的なものでした。それ以外にも、「水入らず」「水があわない」「水臭い」「水の滴る」「水をうったよう」「水をさす」「水をむける」等々、実に多くの“水”を使った慣用句があることを見ても、いかに豊かな水環境に恵まれてきたかということを物語っています。
それはともかくこの話では、外国人研修生が「蛇口をひねりさえすれば水が出ることに驚いた」。そこで、蛇口まで供給される水のことは考えず、「蛇口だけを持って帰った」ところが笑いのネタになっています。しかし考えてみれば、この外国人研修生の驚きを笑っている私たちも、日頃の生活の中で、蛇口から水が出るのは当たり前で、蛇口までくる水のことにどれほどの理解ができているでしょう。思えば、「研修生の驚き」と「私たちの当たり前」は、「蛇口までくる水のことを考えない」という点ではさほど変わらないといえば言いすぎでしょうか。
私たちは、サービス社会で暮らしています。そして、そのサービスは、利用者が提供者にお金を支払うことで成り立っています。さらにサービス内容については、ますます複雑多様化する社会経済情勢の進展とともに、細分化、専門化の一途をたどっています。そうしたことが進んでいくと、少し極端な言い方になりますが、「お金さえ支払えばサービスは提供される」という意識が日常化されていくのも当然で、さらに「いつでも どこでも だれでも」というような言葉にも後押しをされるとなると、先ほどの例でいえば、それこそ「蛇口をひねれば、水は出る」ことが、「当たり前」になることも理解できます。
「水をあてに行く」という表現があります。「KY」や「MK5」を会話に使用する年代との間には、互いに通訳が必要になりつつあるのかも知れませんが、少なくとも先人たちは、蛇口までくる水の苦労を知っていました。しかし、便利なサービス社会にどっぷりと浸かり、サービスの源泉が見えないところから供給されることに慣れてしまうと、そのサービスが提供されるまでのプロセスについてだけでなく、供給の限度さえ分からなくなってしまうことさえありえます。
もちろん、サービスの専門性を追求することに異論を唱えるつもりはありませんし、むしろそれが大きな意味において、人類進歩の原動力になっているものと考えます。また、サービスの提供者はその利用者の負担によって対価を得ている以上、常に万全の体制で安心できるサービスの提供に大きな責任を負うことは言うまでもありません。しかしながら一方で、何かトラブルが発生した場合、原因は全てサービスの提供者やそれを含むシステムの不備にあるとして、たちまち利用者が被害者へと変貌し、人間として生きていく上において当然背負うべきリスクや責任の部分までも忘れた如く、とにかく加害者を探し出してその責任を負わすことばかりに集中する場面も見受けられます。
様々なサービスの源泉について、全ての利用者に十分な理解を求めるのは非現実的なことと理解しながらも、繰り返しになりますが、蛇口をひねりさえすれば出てくる水だけに目を向けるのではなく、その水が「ここに来るまでにどのような経路をたどってきたのか、そしてまたこれから先、どの様な経路でどこに向かうのか」を合わせ考えることも大切であると思います。ただ、このような考え方が日に日に希薄になりつつある中で、今後の「健全なサービス社会」を想うとき、一抹の不安を感じてしまうのは、私だけではないかも知れません。
平成20年3月6日

