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市長のコラム

兵生のないしょ雨 (平成20年10月1日)

 「暑さ、寒さも彼岸まで」の言葉どおり、朝夕の涼しさに秋の気配を感じます。今年の夏は「暑かった」ことに加え、特徴的だったのは「ゲリラ豪雨」と称される集中豪雨の多さでした。
 「ゲリラ豪雨」、今年の流行語大賞にノミネートされそうな勢いで多用されました。それもそのはず、8月には大雨・洪水警報を上回る「記録的短時間大雨情報」が延べ57回も出され、同情報が発表されるようになった昭和59年以降、最多を記録したのです。最近よく耳にするので比較的新しい言葉と思いきや、昭和28年、京都府の木津川上流で発生した雷雨性の大雨を、朝日新聞が記事に「ゲリラ豪雨」と表現したことが最初で、50年以上も前から使われています。気象学的に明確な定義はないものの、目安としては「直径10kmから数10kmの範囲に時間雨量50ミリを超えて降る雨」といわれています。
 この「ゲリラ豪雨」により、都市部を中心に甚大な被害が相次いで発生しました。7月8日に東京都大田区の呑川(のみがわ)で、護岸工事中の男性作業員が流され死亡。同28日、神戸市の都賀川(とががわ)が増水し、児童ら5人が死亡。8月に入ってからも、5日に東京都豊島区の下水道工事現場で作業員5人が死亡。同16日、栃木県鹿沼市の市道で女性が乗用車に閉じ込められ死亡。同29日、愛知県岡崎市で住宅が水没するなどして2人が死亡等々、まさに自然災害の脅威を再認識させられる悲惨な出来事でした。
 このような「ゲリラ豪雨」の発生要因としては、一般的には、「地球温暖化による異常気象に加え、ヒートアイランド現象が積乱雲を発生させやすくしているのではないか。」といわれており、対応策として「都市整備は、生活機能面ばかりを重要視するのではなく、災害対策面を考慮すべきである。」という意見や、「気象庁の予報を、今以上に局地的かつ短い時間単位にできないか。」という意見など、多方面の議論が展開されています。しかしながら気象庁では、「局地的な大雨を特定するのは不可能」としており、まさにこれが「ゲリラ豪雨」の「ゲリラ」たる所以です。
 ところで、富田川中流域で育った私にとって、子供の頃の夏休み一番の楽しみといえば川遊びでした。上級生に背中を押されて、溺れそうになりながら初めて泳げたことは、今でも覚えています。川は子供達にとって、自然がくれた「流れるプール」そのものでした。そして今にして思えば、それは「自然」に与えられたものだけに、楽しみ方にも一定のルールが存在していたように思います。「兵生」と書いて「ひょうぜ」と読む、富田川最上流部の地域名を用いた「兵生のないしょ雨」もその一つです。これは、「中流部で雨が降っていなくても、上流部に積乱雲が立ちこめ、遠くに雷の音を聞き、冷や風が吹いたら、突然の増水に注意せよ。」という戒めの言葉ですが、同じ集中豪雨を表現する前述の「ゲリラ」とは少し趣が異なります。前者は戦闘用語で、いつ、どこから、なにを仕掛けてくるか分からない「敵」だけに、科学の粋を集め、人間の力をもって封じ込められないか、との思いも無理からぬところです。一方、後者はあくまでも「ないしょ」ですから、何の前ぶれも相談もないという点では同義語ですが、言葉の持つ響きからなんとなく身近でほのぼのとしたものを感じられるだけに不思議です。
 いうまでも無く、私たちは自然から計り知れない恩恵を受けています。しかし反面、自然は時に命を脅かす危険な現実を私たちに突きつけます。都合のいいところは存分に享受しながら、突然牙をむく不都合は「ゲリラ」と称して「敵」と位置づけ、科学技術によって封じ込めようとする考えは、それこそ私たちの都合だと言えなくもありません。もちろん、科学技術を駆使した災害対策に異を唱えるつもりはありませんが、ただ我々人間は、「圧倒的な大自然の前には極めて小さな存在であり、そのほんの一部でしかない」との思いに至るなら、相談もなく突然降る「ないしょ」の雨とも、それこそ「共生」する以外にないということに気付かなければなりません。
 『兵生のないしょ雨』、極めてローカルな表現ながら、『ゲリラ豪雨』以前の昔から使われ、誰からともなく教わったこの言葉は、万一の自然災害から身を守るための「知恵」であると同時に、今日的課題の「自然との共生」についても示唆を与えてくれているものと感じます。
 

 平成20年10月1日

shomei   

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最終更新日:2022330