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市長のコラム

火事場のクソ力 (令和2年4月22日)

 いきなり「クソ力」とは品位に欠けるが、読んで字の如く「火事場」、すなわち「非常事態」における「通常以上の力」を指す。このことは何も誇張ではなく、実際、火事場で「女性が石臼を運び出した」例もあると言う。これは、科学的にも立証されていて、説によるとふだん我々の脳は、本来の力の20~30%しか出せないように制御しているらしい。一方で、慌ててしまうと、運び出すべき優先順位もそっちのけで、「石臼」を運び出してしまうのも人間だ。

 こうなると、いざという時に必要なのは、「力の発揮」もさることながら、「冷静な判断」であることに気が付く。しかし「冷静に」というのは簡単ながら、想定外の事態に、情報の渦に右往左往するのが常である。特に昨今は、情報社会といわれるように、通常時ですら情報に溢れているところに、「非常事態」ともなると収拾がつかなくなるのも理解できる。これを、『インフォデミック』と呼ぶようだ。「インフォメーション」と「パンデミック」からなる造語である。そう言えば過日、外国での出来事だったが、ネット上の小さなつぶやきが必要以上に拡散され、無実の人を殺害する事件が報道されたが、まさに情報のパンデミックとはこのことだ。

 では、「どのようにしてこれを回避するか」、答えはそう簡単な話ではない。古今東西、「オオカミが出た」と言う「少年」はいるもので、村人はその都度混乱に陥る。それが今や村人の範囲に収まらず、一夜にして世界中に拡散する。一方、「少年側」も、一人や二人ではなく、一度に多数の情報源となるのだから手に負えない。

 ところで、このほど公表されたOECDにおける15歳児の「学習到達度調査2018」によると、日本人の「読解力」は504点で加盟国(37カ国)中11位、2015年調査から点数で12点、順位で5段階下がったとあった。これが昨今の、「日本人の読解力の低下が懸念される」といわれる基となっている。すると、「今の子どもは本を読まないからだ。」との声も聞こえてきそうだが、この調査では、「読書は好き」と答えた日本人は加盟国平均より多くなっている。首を傾げながら、もう少し調べてみると、「読解力」の定義の違いが見えてきた。「読解力」と言えば、一般的には「文章を読んでその内容を理解する力」だが、OECDでは「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する力」とある。要するに、「社会で生きるため、情報を理解し、利用し、熟考して、生活に利用できる能力」を指す。これを「読解力」とするなら、何も15歳児に限らず、万人が等しくその能力を磨く必要がある。

 21世紀に入って20年。この十数年で、70倍にもなったと言われる情報量は今後更に増加の一途を辿る。「分からないことはスマホに聞けばいい。」とは言うものの、その前にそれを「読み取る力」、つまり現代版「読解力」が必要となる。更に、必要なのは「読解力」だけとは限らない。いわゆる「スマホ認知症」も懸念されていて、「スマートフォン等への依存によって、脳機能が低下し、記憶する、思い出す機能が弱まる。」と警鐘を鳴らす識者も多い。こうなると、情報社会と言いながら「安易で極度な依存状態」は、「無益」を越して「害」にさえなる。つまり、緊急時に必要とされる「クソ力」の発揮には、何よりも、「正確な情報と、冷静にして的確な判断」が求められる。

 唐突なようだが、『窮して変じ、変じて通ず』と言う禅語がある。解説によれば、「窮地に立つと、何か変わらざるを得なくなる。何かが変わると、おのずから道は開ける。」とされる。確かにその通りだが、ここで言う「変ずる」=「変わる」とは、単に表面的な変化を指すだけではなく、見方を変えることにより、「内在していたものが生まれる」と言ったものと考える。もちろん、その時に重要なのは、腹を据えて真剣に向き合う姿勢であることは言うまでもない。いずれにしても、「窮地」にあっては、それに臨む姿勢次第で「道」も開けることを信じたい。

 

  令和2年4月22日

田辺市長 真 砂 充 敏   

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最終更新日:2022330