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水道の沿革

本市水道の沿革

 田辺市の水道施設は、明治の中頃に稲成町糸田の高山寺ふもとの会津川を水源として、元町尾の崎に集水槽を設けた施設が江川中町にありました。
 しかし、町の中央部には施設がなく、井戸を掘り生活用水として利用していましたが水質が悪く、また夏冬には水量が不足するので自然水を利用していました。そのため伝染病が絶えず、保健衛生の面からも上水道の布設が望まれていました。
 一方国鉄紀伊田辺駅が開業し、周辺が開発され始め、また防火の上からも上水道が必要となってきました。
そこで昭和8年から調査に着手、昭和11年5月町議会の議決を得て同年6月に上水道布設認可申請を行い、昭和11年12月上水道布設事業の認可を受けて工事に着手しました。
 水源地を万呂村大字下万呂(現在の水道事業所)とし、江川上水道を買収して昭和14年4月1日から給水人口25,580人で給水を開始しました。
 その後、周辺市町村の合併に伴う人口の増加で二度の拡張事業を実施して給水区域の拡大を行い、水源を会津川伏流水と地下水に求めましたが、昭和40年代前半の渇水で会津川からの取水が困難となり、夏には給水制限を行うこととなりました。
 そのため新たな水源を隣の富田川に求め、昭和46年8月上富田町との間で分水契約を締結、一日7,000m3を受水することで水不足は解消することができました。
 しかしながら、昭和40年代後半から市郊外での開発が進み、また飲料水だけでなく生活用水としての水道利用も進み、丘陵地では水圧が低下し始めました。
 第3回拡張事業変更では、芳養川に新たに水源を求め、浄水場・配水池などを建設して水需要に応えようとしましたが、芳養水源は類のない「鉄バクテリア」による赤水が発生したため取水を中止せざるを得ませんでした。
 そのため昭和56年に上富田町からの受水量を5,000m3増量しました。
 昭和50年代後半も開発が進むとともに、水道利用施設の建設等で使用量が増加、給水量が公称能力一日36,000m3を超えてきたため、新たな水源を確保すべく白浜町からの一日18,000m3受水を目的に、昭和61年8月第4回拡張事業の認可を受け工事に着手、平成4年3月に計画給水人口71,500人、一日最大給水量48,000m3の施設が完成し、会津川を水源とした西部水系、上富田町からの受水による東部水系、白浜町からの受水による中部水系を核とした現在の給水体系が確立されました。
 平成17年5月の市町村合併を契機に、秋津川、日向、稲成簡易水道を上水道へ統合し、さらに平成22年4月には、長野、古屋谷、大坊団栗簡易水道を上水道に統合しました。
 平成30年4月、龍神温泉、上宮代、龍神中央、福井・下柳瀬、福井・甲斐ノ川、甲斐ノ川・小家、湯ノ又・上広井原、鮎川、おおとう、川合、栗栖川、近野、小松原、真砂、下湯川、本宮、三里、川湯及び四村西簡易水道を上水道へ統合し、これにより、市内すべての簡易水道の上水道への統合が完了しました。
 現在の計画給水人口は68,150人、一日最大給水量は33,450m3となっています。

※ページ内の「m3」は正しくはm3(立法メートル)です。

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最終更新日:20221223