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市長のコラム

鮎の友釣り  (平成22年9月8日)

 「魚偏」に「占」と書いて「アユ」。古くは神功皇后(じんぐうこうごう)による釣り占いにも登場することから、その名はやはり「占い」に起因するらしい。太古から人々に食され、「古事記」「日本書紀」「万葉集」にも数多く登場し、我々日本人には馴染み深い魚である。
 もちろん夏を代表する魚で、「鮎」そのものは「夏」の季語として広く知られているところであるが、「春」は「若鮎」、「秋」は「落ち鮎」、「冬」は「氷魚(ひお)」と呼び名を変えて、四季それぞれに用いられる。これは「鮎」の特徴ともいえる「一生が一年」であることによるのではないかと思われる。3万種近いと言われる魚類の中で、その一生を一年で終えるものは、それほど多くはない。故に「鮎」は「年魚」とも呼ばれる。
 それだけではない、その独特の「香り」から「香魚」とも呼ばれる。「香り」の表現は難しいが、あえていえばスイカのような実にいい「香り」がする。この香りはどこから来るのだろう?専門家でもない小生の推測の範囲かもしれないが、それは「鮎」の食性と深く関係していると思えてならない。「鮎」の稚魚は冬、海で動物性のプランクトンを食して成長するが、春になると、海水から淡水に身を転じて川を上るようになる。それと同時に食性が動物性から植物性に変わって、岩や石につく川藻を主食とするようになる。おそらくこれが「鮎」特有の香りの原因になっていると考えるのが自然であろう。ただ、このように「香魚」と呼ぶに相応しい「香り」は天然ものに限られていて、養殖ではけっして味わうことができないものである。しかしながら、近年では貴重な天然ものであっても、以前の「香魚」たる呼び名に相応しい魚体にお目にかかるのは難しい。あの、鋭く肩が盛り上がり、長い背びれが精悍で、エラのすぐ後ろにある追星は鮮やかな黄金色に輝き、その美しい魚体から放たれる「鮎」ならではの香り。遠い記憶は往々にして美化されることを差し引いても余りあるあの頃の「鮎」は、一体どこへいったのかと思う。
 前置きが長くなったが、本題に入る。前述のとおり、「鮎」はその一生が一年と非常に短期間であることから、異例のスピードで成長するため、一日中食べ続けなければならない宿命にある。そうかといって、川藻は一年中安定して繁茂しているわけではなく、度々豪雨などによる増水により跡形もなくきれいに流され、元通りになるには燦燦(さんさん)と降り注ぐ太陽の力を借りながら何日もかかってしまう。これは一年中、一日中食べ続けなければならない「鮎」にとって過酷な条件となっている。そこで「鮎」は自分の成長に必要な食料を確保するため、1メートル四方ほどの縄張りをもつ。この縄張り意識は半端ではない。他の「鮎」が少しでも近づこうものなら、口を開け、ヒレを立て猛烈に体当たりをして追い払う。この習性を利用したのが「鮎の友釣り」である。どちらかと言えば「友釣り」よりも「敵釣り」と呼ぶほうが相応しいのかもしれない。
 「友釣り」の名称の適否はさておき、実にユニークな釣り方には違いない。言うまでもなく「釣り」は「餌」か「疑似餌」かの違いはあっても、総じて「エサ」で釣るのが基本となっている。このように生きた魚を泳がせて、もう一匹の魚を釣るという技法は「鮎釣り」以外にないだろう。もちろん他の釣りと同様に、様々なことに注意を払う必要があるのは当然だ。川の様子や天候の具合、初夏から真夏、秋口への季節の移り変わり、さらには「朝瀬、昼トロ、夕のぼり」の言葉どおり、同じ1日の中でも時間帯によって「鮎」の動きも大きく異なる。更に、縄張り意識を強く持った「野アユ」そのものの居場所をいち早く見つけることも大切な要件だ。ただこういった諸条件をクリアした上に、なんと言っても大切なのは、この釣りの最大の特徴である「オトリ鮎」をいかに自然に近い状態で「野鮎」に近づけるかということ、これによって釣果を大きく左右することになる。
 ここで、もう少し説明を加える。「オトリ鮎を自然に泳がす」と言うのは簡単だがそう上手くはいかない。「オトリ鮎」は「鼻カン」と呼ばれる金属のワッカを鼻に通された状態で、釣り糸に結ばれ竿に繋がれている。更に、鼻から尾ビレの後ろに「野鮎」を掛けるための針をぶら下げられ、それをできるだけ定位置にするため、シリビレに「サカ針」を打たれる。これでは、「自然」とは程遠い状態にあるにもかかわらず、この釣りでは、あくまでも「自然」に泳がすことに全神経を集中することが求められる。
 例えば、対岸に近いところにオトリを誘導したいとする。竿を向こう側に倒し、背伸びをして腕をいっぱいに伸ばし引っ張ってみる。想像してほしい。日常、「手前に引っ張る」ことはあっても「向こうに引っ張る」ことはないだろう。「向こう」には「押す」というのが当たり前なのに、この場合は「向こうに引っ張る」としか表現できない。
 竿を精いっぱい向こうに倒し、腕を伸ばしても「オトリ鮎」は足元にいる。なんとか「向こうに」との思いでつい竿先に力が入るのだが、あまり引っ張り過ぎると水面に浮いてしまう。先にも触れたように、野鮎は常に水底の「苔」を食んでおり、水面に浮いている「オトリ鮎」に体当たりをすることはまずない。したがって、「自然に泳がせる」ということは、「オトリ鮎」を常に水底に、しかもいかに自分の力で泳いでいる状態にできるかが最大のポイントとなる。必要なのは、なにも浮き沈みだけではない。前後、左右の動きも大切だ。「右に引けば左に」、「前に引けば後ろに」、我々人間も含めてこの世に生を受けるモノはおしなべて、外部からはたらく力に対して反発するようにできているらしい。そのことも十分理解した上で、「荒瀬」もあればゆっくりと流れる「トロ場」もある、また川幅が広く水深が極端に浅い「チャラ瀬」など、変化に富んだ流れの中を、不自然極まりないオトリをコントロールしながら、できる限り自然に泳がす。この矛盾をおさめたものだけが、最高の釣果を手に入れることができるのだ。
 言い換えれば、ときとして不自然で極端な締め付けは、鮎本来の動きを鈍らせるだけでなく、ひいては何の成果にも結び付かないことになるということを示している。
 「鮎釣り」など、たかだか趣味の域を脱し得ないとの考えもあるだろうが、こうしてみれば、大変意味深いものとして感じることも可能である。
 

  平成22年9月8日

shomei   

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最終更新日:20151017